14歳の息子より

“難民”と聞いて皆さんは何を想像しますか? もちろん皆さんはシリア難民につ いて聞いたことがあると思います。難民は自分の国を捨て逃げなくてはなりま せん。しかしヨーロッパ諸国へ逃げる際そのほとんどが国境という壁にぶつか ってしまいます。なぜ彼らは故郷を捨て逃げなければならないのでしょうか。そ れは身の安全を守るため、そして生命を守るためです。 僕はあるカンボジア難民を知っています。四十年前、彼の国では戦争がありまし た。クメールルージュという新しい共産主義政権は彼から家族を奪い、彼自身も 強制労働収容所に入れられました。その時彼はわずか10歳でした。彼は 4 年 間重労働、飢え、病気の下で大量虐殺が日常的な生活を強いられました。僕と同 じ 14 歳の時、生命の危険を感じ、カンボジアから逃げざるを得ませんでした。 彼は家族を置いていかなくてはなりませんでした。逃げた先、タイ難民キャンプ では配給、UNHCR からの寄付金だけで命をつなぎました。彼はオーストラリアか らの難民申請の承認を待っている間 12 ヶ月間生き延びなければなりませんで した。ついに 16 歳で彼は新しい国で新しい人生をスタートするチャンスを与え られました。しかし、これは彼の前に立ちふさがる壁はなくなったわけではなか った。 彼の問題は新しく言語を覚えることだけではなかった。彼は新しい生活、文化、 食べ物に順応する必要があった。ただ普通の生活をしようとするだけでも彼は すべてをゼロからはじめなくてはならないため、彼の前には壁が立ちふさがっ た。また生活するにあたって勉学の必要性は絶大なものになっていきました。彼 …

「望んで難民になる人などいない」

2017.7.7 15:15 ヴィンセント・リーさんが祖母とともに、オーストラリアのシドニーに到着したのは1981年、15歳の時だ。祖国カンボジアのポル・ポト政権崩壊で始まった内戦から逃れ、安全な地で新たな人生を始めるためだった。「逃げ回る生活がこれで終わった」。難民収容施設で与えられた6畳ほどの個室でそう思った。 センターでもりもりご飯を食べ、130センチしかなかった身長は、半年間で10センチ以上伸びた。生まれて初めて正規の学校に通い、英語の読み書きを学んだ。難民の友達の多くは学校についていけず脱落したが、学校清掃などのバイトをしながら高校を卒業。銀行に就職し、ためたお金でカンボジアに残る両親や兄弟ら8人の家族を呼び寄せた。職場の上司の勧めでさらに勉強し、名門シドニー大に合格。財政学で修士も取った。二度目の人生だ。「意志があれば達成できないものはない」と信じていた。 時折、ポル・ポト政権時代や難民キャンプの夢を見た。ダム建設のために掘らされた穴の底で眠ってしまった時のこと。大雨の夜。死が日常の日々。はっと目を覚ますと、背中がじっとりと汗でぬれていた。 オーストラリア人の友達に、苦難の日々を深く語ることはしなかった。話してみたことはあったが信じてもらえなかったからだ。普段は笑い合って過ごす友人から凄惨な過去の経験を聞くのは、豊かな社会で育った者には耐え難かったのかもしれない。